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新しい歴史教科書をつくる会略称つくる会
設立1997年1月30日[1][2]
設立者西尾幹二、藤岡信勝ら
法人番号9010005019927
新しい歴史教科書をつくる会(あたらしいれきしきょうかしょをつくるかい)は、1997年に結成された日本の社会運動団体。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場(「自由主義史観」と称する)から、戦後の歴史観を否定する新たな歴史教科書をつくる運動を進めるとしている。 湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転身。自身の歴史検証法を「自由主義史観」と名付けた。 1996年1月15日、藤岡が代表を務める「自由主義史観研究会」は、産経新聞のオピニオン面に「教科書が教えない歴史」の連載をスタート[3][4][注 1]。 同年6月27日、文部省は翌年度用中学校社会科教科書の検定結果を公表。従軍慰安婦について記述した7冊すべてが合格した[4]。翌28日から、「従軍」慰安婦や南京大虐殺などを教科書に載せるのは「反日的・自虐的・暗黒的」だとして、削除を求める抗議活動が行われた[2]。8月10日、藤岡は、自由主義史観研究会との共著名義で、『教科書が教えない歴史』(発行:産経新聞ニュースサービス、発売:扶桑社)を出版した。同月、小林よしのりは『SAPIO』連載の「新・ゴーマニズム宣言」で、元従軍慰安婦の証言やメディアの報道内容に疑問を提起した[4]。9月7日、「日本を守る国民会議」は現行の教科書を攻撃するキャンペーンを開始し、教科書会社の社長名・住所・電話・FAXを公開した[2]。 同年12月2日、藤岡、西尾幹二、小林らは「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)の結成記者会見を赤坂東急ホテルで開催。西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した。安易な自己悪逆史観のたどりついた一つの帰結だ」との声明を発表した。声明文には藤岡、西尾、小林、坂本多加雄、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた[5][6][7]。会見時の賛同者は78人であった[8][注 2]。 1997年1月21日、つくる会メンバーの西尾ら7人は小杉隆文部大臣に面会。教科書の慰安婦関連の記述は検定基準に違反しているとして、削除を要求したが、小杉は「元従軍慰安婦のことは内閣外政審議室の調査で明らかになっている。義務教育に取り入れるのは妥当」と述べ、要求を拒否した[3]。同年1月30日、つくる会は結成総会をもって正式に発足した[1][2][8]。 発足から約1か月後の2月27日、自民党の国会議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が設立された。会長には中川昭一、事務局長には安倍晋三、幹事長には衛藤晟一が就いた[10]。衆参あわせて62人が参加し、運動を大きく後押しすることとなった[4][11]。また、つくる会には多くの著名人が賛意を表し、同年6月6日時点の賛同者は204人を数えた[注 3]。1999年9月には会員が1万人を超え、全都道府県に48の支部組織(東京都は2つ)をつくり、その当時、年間1億3千万円以上の予算で活動していた[2]。 つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服し、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている[要出典]。
概要
発足
従来の教科書に対する批判